華子は最初から自殺する積りで生きてたんじゃ無いかなぁ。
だから突拍子の無い事が出来るし、寂しがり屋だから周りに自分の存在を植え付けて置きたかったとか。

「早くゲームオーバーに成ら無いかなぁって思ってた」
と謂う言葉から、華子は周りが思う拠りも自分を駄目な人間だと思ってたんでは無いでしょうか。
別荘に一緒に逃げてきた梨果も、翌日には日常に帰ってしまい、一人になってしまった華子はもうおしまいにしようと決めたんだと思います。
最近、初めて読みました。

華子は生きていることと死んでしまうことの境がフラットだったんじゃないかと思います。
生きることに懸命でないから、死ぬことにも抵抗がないっていうか・・・。
ふらりとどこかに出かけるような感覚で死を選んだんじゃないかな?と。
自分に倦んでいたのかもしれないとも思います。

加えて言うならば、逃げる事の苦痛を誰よりも知っていた華子は
その苦痛からすら逃げたかったのかも、なんて思います。

他の方も書いてらっしゃいますが、わたしも華子は生きていることと死んでいることの境界線が曖昧な人間だったのではないかと思います。
華子にとって、その2つはむしろ同じことだったのかもしれない。
悲しいけれど、さみしいけれど、でもこの上なく華子らしくて、笑いたいような泣きたいような気持ちになりました。

私は、華子自体が死の象徴だったのではないかとおもいます。
彼女は作中では語られていない過去に何らかの体験をし、死に限りなく近い存在になってしまった。
人には色々な死生観があるのでなんともいえませんが、人自身に内包されている死が、人々が華子の中の死に惹かれ執着を持つ原因になったのかなと。
でも華子はそんな人々と同類ではない惣一を愛してしまった。
愛は生の象徴でもあると私は考えているのでそこで葛藤がおこり、生来逃げ続けてきた華子は自分の中の死ににげてしまった。

生と死は本来、同じ線上にあるもので、きらきらした生のゴールに死が用意されている
と私は思うのですが、
華子はいつも生と死の堺の塀の上をヒラリハラリと歩いていて、生に惹かれる気持ちをかわして
過ごすうちに、だんだん逃げ切れなくなり・・・
思いっきり手を振り払って、死の側へ落下した。
納得はいったって、どうしたって悲しいです。

華子が死ぬ以外の結末が考えられません。
自由。だから孤独。だから安心とは無縁。
好きなように生きているけど
本当に欲しいものは絶対に手に入らない。
そんな華子にとって、生と幸せは結びつかない。
生の世界に幸せを求めていたとも思えない。
本当にほしいものが手に入らないとわかっていたからこそ、
この世のやっかいなものから逃げ続けていた華子は、
最後に「生きる」ということから逃げたのではないでしょうか。
自分はこの世では幸せを手に入れられないと知りながら生きていて、
理香や直人君と知り合ったからこそ、
今を終わりにする決心がついたのではないかと思います。

現実に もしいたら悲しすぎますが、
彼女は「そういう運命」だったとしか思えません。
生まれたときから、全てが「そこ」に向かって収束していったとしか。
華子にとっては ごく自然なことで、
「淋しかったの?」
と同じ調子で
「悲しいの?」
と言う気がします。
そんなのは本意じゃない、というふうに。
・・・とはいえ、理屈ぬきに、死は悲しいですね。

華子のキャラクターはわからないです。複雑すぎて、主人公は本当にかわいそうだと思います。

華子にしかわからないと思う。 すごく複雑な背景を背負っていそうなので推察もできないがく~(落胆した顔)
でも、梨果に出会って安心したのかなって、みなさんの見解を読んで思いました。

華子は自分や色んなひとに絶望したりしていたのかな。。
と勝手に思いました。



小説評論

華子の静かな孤独が深々と沁みて来る、冷たくて静謐な物語だった。江國香織の文章の中でも美しい文章が多い良作だと思う。

何十度目かわからないくらいの再読。初めて読んだときはとても衝撃的で自由奔放な華子に憧れたりもしたけど、読み返すうちに華子は自由なんかじゃなくて孤独だったんだと気づく。早くゲームオーバーにならないかなあと切望しながらずっとひとりで逃亡し続けていたのだから。華子の突飛な行動や最後に向かえる結末の原理は弟を本気で愛していたが故の絶望だったのかなあというのが個人的解釈。

読了。今さっき読み終えたところですが、もうなんだか嵐の後のようなそんな気持ちです。華子の人を惹きつける力のなんと強いこと、それでいて本人は永遠に孤独...。とんっと一歩段差を降りるようにあっけなく死に飛び込んでいった華子...。なんだか読んでいた私にもぽっかりとした喪失感が残ったような気がします。華子と過ごしていた何気ない日々に、それぞれ香りや色があって、私もこれからの季節が楽しみだなあなんて思い巡らしながらページを捲っていました。なんというか本当に、落下する、落下したとしかたとえようのない一冊でした。

いつかいなくなる気がする華子。生きるということの、外に出てしまったときになんだか妙に納得してしまった。終わりに向かう物悲しさに心がピリリと痛くなった。

すれ違う魂の物語、か。華子は、いつから死を考えていたんだろう。本当に何の前触れもなく突然に。(江國香織って色気むんむんのイメージがあったけれど全くそんなことなくて。むしろ可愛らしかった。焼き芋には笑った。映画観てみようと思いました)

「一度外にでてしまったら、帰ることなんてできないのよ」本来いるべきところとは違った場所へでていった人は、もう、本当の意味で同じ場所には帰れない。もう二度と。私もあなたももう元には戻れない。あの頃のようにはなれない。華子のゆらゆらと漂う雰囲気が好きだと思う反面、梨果と健吾と華子のいつまでもいつまでも続く未知数な関係に早く終わりが来ればいいと思ってしまった。それでも私も梨果のように華子の不在に動揺したのも事実で。どこか壊れている物語はとても素敵でした。なんだか変な気持ち。

誰よりも自由な華子は、誰をも執着させて束縛してしまっていたんだろうな、とおもう。本人の意思とはべつで。「一度外にでてしまったら、帰ることなんてできないのよ」(P.196)華子が自殺した、の一文を見たときの突き落とされた感じが恐ろしかった。

この小説の魅力は華子のキャラクターにある。 綺麗で、でも女臭くなくて、一人を愛して、言葉を正確に使う。 周りの意見に左右されなくて、押し付けがましくも無い。ふらっと現れたり急に消えたり。野良猫のよう。 主人公梨果も素敵です。振られた男を忘れられず、きっちり振られることが出来るまでに15ヶ月かかってしまう女の人です。 対称的な二人の女性のお話。見つけたら読んで見てください。

沉落的黄昏落下する夕方(1998)

又名:落下夕方 / Rakka suru yugata / Falling into the Evening

上映日期:1998片长:106分钟

主演:原田知世 菅野美穗 渡部笃郎 浅野忠信 

导演:合津直枝 编剧:合津直枝/江國香織

沉落的黄昏的影评